アナウンサーと”編詞家”
僕には、アナウンサーを目指していた時期がありました。
3年前の話です。
ちょークソみたいな半年間でした。
(半年しか目指してないんかい笑)
27年間生きてきて、
1番、人に迷惑をかけ、
1番、人をガッカリさせ、
1番、人に嘘をつき、
1番、人に嫌われ、
1番、自分に嘘をつき、
1番、自分が大嫌いになり、この世からいなくなろうと思っていた時期でした。
壊れていました。
自分という箱に、自分が入っていない。
全部周りのせいにして、生まれてきたことさえ、親のせいにして否定していました。
人と戦う自分がいないっていうのは、悲しいもんです。空っぽの人間でした。
でも、ボロボロになってしまった僕の心を救ってくれたのは、他でもなくこのちょークソみたいな半年間でした。
ことのキッカケは、あのゴリラ社長兄に
「テレビ出たいんだろ?
芸人になっても、テレビ出れないけど
アナウンサーになれば、テレビ出れるぞ?」
と言われ、ワクワクしてしまいました。
すぐにその話終わりで、吉本に電話して、芸人を辞めることを伝えました。
お世話になった方に、ご挨拶をし、そして、残りのライブをこなし、僕は2度目となる芸人を辞めることになりました。
(1度目は、養成所卒業時。祖父が倒れたり、実家が違法な強制退去を命じられ、その為の裁判があったから。)
すぐにアナウンサースクールに入り、滑舌やニュース読みを習い、毎日練習。
必ず毎日1時間は、カラオケに行き、滑舌の練習をし、エントリーシートを書きまくり、いきなりステーキで死ぬほどバイトしながら、就活をしまくった。
たくさんの有名アナウンサーにも会わせて頂いた。
その中でも、大学、ダンスサークルの先輩である日本テレビの鈴江奈々アナウンサーにお会いした際に、教えて頂いた
「アナウンサーは、テレビに映り込んでいいスタッフ」
という言葉は忘れられない。
正直、聞いたその瞬間は、心には何も響かなかった。
色んなアナウンサーにもあったし
練習もたくさんした
キー局は、年齢的にもう受けられなかったので、地方局を攻めまくった。
落ちる。落ちる。落ちる。
精神は、ボロボロ。
東北は全滅だった。
アナウンススクールの先生に
「東北は、実力主義だからね。」
と言われ、たしかにな。と思った。
この時、アナウンサーを志してから、2ヶ月経っていた。
まだ毎日ニュース読みの練習を続けていた僕は、3ヶ月目でようやく大阪のテレビ局の書類審査に合格した。
よし、大阪中の人ナンパして、大阪の良いところ聞き出そう!
1泊2日で20人の男女と知り合った。
その中の1人の女性がすごい面白い話を教えてくれたので、それを話したら、最終試験まで行くことが出来た。
けど、落ちた。
なんの慰めなのか、古株のアナウンサーさんが昔話を話してくれた。
そんなんいいから、内定くれよ。
本気でそう思ってた。
まぁどんまい!どんまい!
僕は、ちゃんと最終的には、アナウンサーになってるんだから!
バイトは休みがちになっていた。
借金が増えていった。
全然いい。
アナウンサーになるんだから。
次は、高知県の3次まで行った。
いっぱいナンパしたのに、
特に男を多くナンパしたのに、ダメだった。
そのナンパした中の1人に別のテレビ局の人事部長がいたけど、そこは受けてなかったから、特に気に留めず、なんか豆知識みたいのを聞き流してた。
まぁどんまい!どんまい!
そして、鹿児島県。
最終試験まで残り、また落ちた。
え?なにしてんだ?俺?
この時、既に半年間経っていた。
借金は膨らんでく一方。
何もやりがいのない、
誰に向かって練習してるかわからないニュース読み。
意味あんのか?これ?
ん?俺、お笑い好きじゃなかったけ?
あぁそうだ。兄貴のせいで辞めたんだった。
全部、人のせい。
こんな泣きたくても、自分が空っぽで泣けず、辛い思いしているのは、兄貴のせいでもアナウンサーの先生でもない。
全部、僕のせいだった。
全ての行動、言動を人のせいにしていた。
自分が可愛かった。
頑張ってる風の自分を褒めてあげたかった。
考えてみれば、ずっとそうだった。
最初に芸人を辞めたときも、僕は祖父のせいにした。実家の裁判のせいにした。
テレビに出たくて、目立ちたくて、始めたアナウンサーなんかに、鈴江アナウンサーの
「アナウンサーは、テレビに見切れてもいいスタッフ」なんて言葉は、響かない。
照明さんは、照明を
音声さんは、音声を
アナウンサーさんは、声を
それぞれの個性を武器とし、ニュースや事件をちゃんと「見てる人」に「伝わる」ように活かしてる。
アナウンサーを志していて、最後に会った人は、自分のようなクズ人間でした。
アナウンススクールの先生に鹿児島の最終落ちた時に言われました。
「芦名くん、アナウンサー目指すなら、定職に就こう!声の仕事でもあるし、コンサルとか向いてるんじゃないかな?」
関節的に、
アナウンサーは向いてない。
と言われてるようなものでした。
優しかったなぁ〜まこ先生。
そして、まこ先生の紹介で、コンサル会社の人事部長の人に会いました。
「僕は、年収1,000万稼いでるけど、君はどんな答えを見せてくれるの?」
まず、は?
僕は、やりたくもないコンサルに、見合ったような発言をしました。
「あ〜それは、僕の欲しい答えじゃないな〜」
更に、は?
僕は、素直に聞きました。
「じゃあなんて答えるのが正解だったんでふか?」
「それは、君が答えなきゃあ〜笑笑」
殺してやりたかった。自分を。
僕が目立ちたくて、自分勝手で、周りに不快な思いをさせて、目指してる先が、こんなクソ野郎と出会うことだったのか。
僕は、僕で生きなきゃいけない。
クソ野朗と出会えてよかった。
僕は、箸をおいて、
「帰ります。」
と言って、席を立った。
同席してるまこ先生には、
「どうして?」
と言われた。
「おばさんが、倒れちゃったんで。」
嘘をついた。ダサいよね笑笑
その帰り道に、また芸人に戻る決心をした。
僕は、これから全部自分のせいにする。
あんな奴になりたくない。
吉本の社員さんは、快く受け入れてくれた、
「ちょっと休んでただけだもんね?」
と。
ただ、色んな人に謝れよぉ〜とも言ってくれた。
頭が上がらない。
そして、今、僕は芸人として、活動出来ている。
このクソみたいで、素晴らしい経験をしてなかったら、今の僕はいない。
とっくに自殺していたと思う。
アナウンサーは、素晴らしい職業だ。
ある事件、事故が起きた時に、その現場行き、感情を蓄え、その温度を、見てる人に伝える。
人には出来ない。
人とは違った個性丸出しの職業だ。
その人の声に、価値がある。
だったら、僕にも出来ることがある。
歌は、下手くそだけど、ダンスは得意。
それで曲が好きになれた。
曲に救ってもらえた。
だったら、僕にも出来ることがある。
みんなが持ってる闇を曲に出来る。
その人にアナウンサーよろしく、インタビューして、その人が嬉しかったこと、その人が辛かったこと、その人の今、その人が描いてる未来を聞いて、僕はそれを歌詞にする。
それが編詞家です。
種類は、違えど、アナウンサーです。
そんなことやって、救われる人がいてくれたならいいな!って思ってます。
お笑いも、
アパレルも、
編詞家も、
全部やります。
それが僕です。
なりふり構わず、いいことはしていきます。
それが偽善だと批判されても。
PS 先輩芸人の言葉があります。
「お笑いをやりたい!って気持ちが大事だからな!」
僕は、一生この言葉を忘れません。
救われました。
やりたい!気持ちを大事にしていきます。
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